道具としての数学3:ベクトル
   ━━ 有向線分(矢印)の抽象化


物体の運動を調べるのが力学なので、まずは対象の物体が、どのような軌跡をたどるか、が記述できることがスタート地点となる。物体の運動する舞台は3次元であるから、3次元の座標系を用意すればよいが、各成分を別々に考えるよりも、まとめて扱えた方が見通しがよい。そこでベクトルの出番となる。
ベクトル
属性として、向きと大きさを持つものをベクトルと定義する。 平行移動して一致するものは同一視する(何をもって平行移動とするのかが、一般相対論など、歪んだ空間では問題となるが、ここでは平坦な空間、ユークリッド空間に限ることにする)。向きが異なったり、大きさが異なるものは別のベクトルとなる。 ベクトル A の大きさを |A| で表す。 ベクトルに対し、値だけで向きを持たないものをスカラーという。実数や複素数がスカラーにあたる。 このベクトルを用いて、どんなことができるだろうか? そのために、どんな演算がベクトルには定義されるているかを調べよう。ベクトルには次の三つの演算がある。
ベクトルの演算 1: 和、スカラー倍
+ :平行移動可能ということはベクトルの始点をずらしてもよいということだから、一方のベクトルの終点に、他方のベクトルの始点を持ってきて、最初のベクトルの始点から最後のベクトルの終点へ向かうベクトルが考えられる。これを元の二つのベクトルの和とする。 スカラー倍 :ベクトルの長さをスカラー倍だけ伸ばしたものを、ベクトルのスカラー倍とする。どちらも言葉の説明よりも図の方が分かりやすいので、そちらを参照。 平行四辺形の頂点から、どちらの辺をたどって行っても、行きつく先はその対角の頂点だから、ベクトルの和の演算は順序を交換しても変わらない。また、ベクトルの差も、和と (-1) 倍を使って定義できる。
ベクトルの演算 2: 内積
|A| =a, |B|=b,A B のなす角度を 𝜃 として、AB の内積 は、値(スカラー)を与え、ABab cos𝜃と定義する。 B 方向に長さ 1 の単位ベクトルを B とすると、AB =a cos𝜃となり、これはAB 方向への射影の大きさを与える。
スカラーに向きは無いから、内積も、演算の順序を交換しても値は変わらない。AB=BA
ベクトルの演算 3: 外積
ベクトル A B の外積 × は、ベクトル C を与える。A×B C |A| =a, |B|=b, A B のなす角度を 𝜃 として、 |C| =a b sin 𝜃, C の向きは AB の張る面に垂直、 A から B に向かって右ネジの進む方向と定義する。 大きさ a b sin 𝜃 は、A B の張る平行四辺形の面積となっている。
こちらは演算の順序を交換すると向きが逆となるから ー(マイナス)符号がつく。B×A =-A×B ここまで、ベクトルの演算を述べてきたが、座標系の話は一切出てこなかった。ベクトルは、座標系によらない、独立したもの、いわば実体である。 このあと、デカルト座標系におけるベクトルの成分表示を用いて各演算を具体的に求めていくが、座標系を変えたとき(座標系の平行移動や回転、極座標など)、各ベクトルの成分はそれに応じて変化しても、内積の値や、外積の結果得られるベクトルは変わらないことを覚えておいてほしい。
座標系と基底ベクトル、ベクトル の成分
デカルト座標系をとり、各座標方向に、それぞれ単位ベクトル ex, ey, ez を取る。ベクトルの和とスカラー倍を用いると、任意のベクトル V は、V=Vxex+Vyey+Vzezと単位ベクトル(のスカラー倍)の和に分解できる。このとき、V の成分を (Vx, Vy,Vz) と表し、V=(Vx, Vy,Vz)と書く。左辺がベクトルで、右辺がベクトルの成分だが、混乱する恐れが無いため、このように等号で結んでしまうことが多い。 各単位ベクトルを基底ベクトル、各成分を座標成分という。
実数 a, ベクトル A=Axex+Ayey+Azez , B=Bxex+Byey+Bzez に対し、A+B, スカラー倍 aA の成分はそれぞれ、
A+B=(Ax+Bx, Ay+By,Az+Bz )
aA =(aAx, aAy, aAz)
となる。 繰り返しになるが、座標系を回転したりすると、各座標成分はそれに応じて変化しても、あるいは変化してくれるおかげで、元のベクトル自体は変わらない。ベクトルは実体、成分はその影のようなもの。それで、成分のことを射影成分と呼んだりする。成分だけでは実はベクトルは決まらず、基底ベクトルが暗黙に指定されているからこそ、上の等式が意味を持つ。
内積、外積の成分表示
各基底ベクトルを、定義に従って内積、外積をとると、以下の表のようになる。
(行) ・(列)exeyez
ex100
ey010
ez001
(行) X (列)exeyez
ex0ez- ey
ey- ez0ex
ezey- ex0
これを {x,y,z} の組み合わせを {i,j,k}と表すことにすると、
ei ej =𝛿ij
ei×ej =𝜖ijk ek
とまとめることができるが、それは余談( 𝛿 はクロネッカーのデルタ、 𝜖ijk はレヴィ チヴィタの記号もしくはエディントンのイプシロンと呼ぶ)。 A=Axex+Ayey+Azez , B=Bxex+Byey+Bzez として、各基底ベクトル ei どうしの内積、外積をとることによりベクトル A, B の内積、外積が求まる。
AB =(Axex+Ayey +Azez )(Bxex+Byey+Bzez )
=Ax Bx+Ay By+Az Bz
A×B=(Axex+Ayey+Azez )×(Bxex+Byey+Bzez )
=( Ay Bz-Az By ) ex+( Az Bx-Ax Bz ) ey+( Ax By-Ay Bx ) ez
成分表示だけで計算していると、成分の内積や外積をしているような感じになってくるが、実際は基底ベクトル間の内積や外積の結果であることを強調しておきたい。 なお、ベクトルの成分 Ai は、Aei の内積をとることで、Ai =Aeiベクトルの大きさの 2 乗は、A と自身との内積をとることで、
AA=Ax Ax+Ay Ay+Az Az
=A2x +A2y+A2z
と与えられる。これは前のセクションの図で描かれた、二つの直角三角形に三平方の定理を施したものに他ならない。
位置ベクトル、変位ベクトル、速度/加速度ベクトル
粒子の軌跡を時刻 t の関数として C(t) 、位置ベクトルとして、始点を原点、終点を時刻 t の粒子の位置とする、 r(t) を考える。変位ベクトル 𝛥r(t)𝛥r(t)r(t+𝛥t)-r(t)として、𝛥t0𝛥r(t)0 だが、比 𝛥r(t)
𝛥t
は有限の値を持つ。
これを速度ベクトルと呼ぶ。v(t)𝛥r(t)
𝛥t
=dr(t)
dt
成分に分解して表示してみると、𝛥r(t)=𝛥rx(t) ex+𝛥ry(t) ey+𝛥rz(t) ez 基底ベクトルはデカルト座標系では、どの点でも共通で一定の {ei} だから、粒子の位置が時間とともに変化しても、その点における基底ベクトルは時間によらない。よって、dr(t)
dt
=drx
dt
ex+dry
dt
ey+drz
dt
ez
となり、変位ベクトルの各成分に対する時間微分が速度ベクトルの各成分となる。 同じことだが、位置ベクトル r(t)=(rx,ry,rz) としたが、r(t)=(x(t),y(t),z(t)) とする書き方も多く、その場合、dr(t)
dt
=dx
dt
ex+dy
dt
ey+dz
dt
ez
となる。x と書いたとき、それが粒子の軌跡なのか、それとも単なる座標なのか、意識して見分ける必要がある。 同様に 𝛥v(t)𝛥v(t) v(t+𝛥t)-v(t)として、𝛥t との比の極限を加速度ベクトル a(t) と呼ぶ。a(t)𝛥v(t)
𝛥t
=dv(t)
dt
こちらもその成分は速度ベクトルの各成分を時間で微分したものになる。
こうして、ベクトルを用いて、粒子の運動を記述する際に土台となる、位置、速度、加速度(ベクトル)が定義できた。 このうち、位置ベクトルだけは、その定義から、始点が原点固定で平行移動は考えないこと、変位、速度、加速度ベクトルは始点は粒子の位置だが、その微分を考える際などには、平行移動の概念を用いていることに注意。 また、これは完全に範囲外ですが、一般相対論で歪んだ空間を扱う場合には、位置ベクトルは定義できない、各点に接する(微小変位)ベクトルしか定義できないということを頭の片隅にでも覚えておいてもらえたらと思います。僕はこれが分からなくて、いきなりつまずいてしまいました。ということは平行移動はどうなるんだろう? それはいつか、あなたが相対論をやるときのお楽しみ。 お疲れ様。やっと道具としての数学の準備が終りました。あとはこの軌跡を決定する方程式と初期条件が分かれば、未来を予測することができる。いよいよ物理の話に戻ります。次は、「ニュートンの法則、古典力学の全て」。 ちなみに、ベクトルはとっても強力なツールで、頭をひねって補助線を考え出さねばならないような図形の証明問題も、各点を位置ベクトルで表してやるだけで、自動的に解答にたどりつくことができたりする(補助線のような、ひらめきの感動はないけれど)。

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