第一部 内在的 (intrinsic) な曲面論



方向微分とベクトル
   ━━ 現代的な定義


向きと大きさを持つベクトルは、座標系の採り方によらない「幾何学的実在」である。曲線の接ベクトルも然り。一方、(任意のある関数の)方向微分も、座標系を入れることなく定義できることから、こちらも座標系の採り方によらない。また、方向微分はその点の接ベクトルに強く依存しており、両者は 1 対 1 の対応関係にある。この関係を用いて、接ベクトル、ひいてはベクトルを定義することを考えよう。座標基底 {ei}{
∂ui
}
と表記することが自然なことも明らかになる。
曲線、方向微分、接ベクトル
超曲面 M を考える。曲線、スカラー場、方向微分、ベクトルを以下のように定義する。 ・曲線 PM 上の点として、 連続した点列を「経路 (pass) 」と呼ぶ。曲面上の「曲線 (curve) 」とはパラメーターつき経路、数直線から経路への写像C:sRP(s), asbと定義する。座標系がなくても曲線は定義できるので、曲線は「幾何学的実在」である。 ・スカラー場 M 上の各点ごとに数(スカラー)を与える関数 f(P) をスカラー場と呼ぶ。スカラー場も座標系なしで定義でき、「幾何学的実在」である。 ・方向微分スカラー場 f(P) の、曲線に沿った方向微分を df
ds
f(P(s+Δs))-f(P(s))
Δs
と定義する。こちらも座標系によらない。 ・接ベクトル内在的に曲面を取り扱うとき、ベクトルも曲面の外に出ることはできないので、位置ベクトルを含め、有限な距離の 2 点間を結ぶベクトルは定義できないことになる。それらは超曲面からはみ出してしまう。はみ出さないと考えられるものは、微小変位ベクトル(の極限)だけになってしまうが、有限の大きさのベクトルも扱えるようにするために、超曲面 M 上の各点 P における接空間(3 次元における曲面では接平面) TpM 上で、ベクトルは定義されるものとしよう。 そうすると、曲線の接ベクトルをVP(s)P(s+Δs)
Δs
と定義することができる。 接ベクトルの和やスカラー倍にあたる接ベクトルを持つ曲線は必ず存在する。また、ゼロベクトルは点 P 一点への写像 CP CP:sRP(s)=P, asbにおける接ベクトルと考えればよい。線形性(和とスカラー倍がともにベクトルとなること)と、ゼロベクトルが存在することの条件を満たすので、接空間 TpM はベクトル空間となっている。図では 2 次元の曲面を 3 次元から、曲面の外側から眺めているが、内在的な曲面論では本来、この視点は持てないことを頭の片隅に置いておいてほしい。 パラメーター s を時間と考えると、これは速度ベクトルと見なすことができる。また、微小間隔 Δs に対応する微小変位ベクトルは接ベクトルを用いて、P(s)P(s+Δs)=VΔsと書ける。 超曲面 M 上の点 P, Q における接空間 TpM, TQM は別の空間となることに注意。すなわち、 P, Q におけるベクトルはそれぞれ別の空間に属するので、単純に平行移動や比較はできないことになる。こちらについてはチャプターを改めて、後ほど説明する。 また、ここではこれ以上触れないが、超曲面 M 上の各点 P の接空間 TpM すべて集めたもの TpM を接ベクトルバンドル、各点 P でベクトル V|P が定義できるとき V をベクトル場と呼ぶ。 このように方向微分も接ベクトルも座標系なしで定義できる。即ち、座標系によらない「幾何学的実在」である。 また、同じ経路だがパラメータの刻みが異なる場合、方向微分、接ベクトルは、単位パラメーターあたりの変化率となるので、その値や大きさは異なってくる。従って、同じ経路でもパラメータが異なる場合は別の曲線とみなすことにする。曲線を変えることにより、接ベクトルは接空間の任意のベクトルを表すことができる。
座標系を入れる
超曲面 M に座標系を採り入れよう。 M の各点が (u1,u2,...,un)n 個の変数で指定されるとき、 超曲面 Mn 次元であるという。座標の成分を用いて、曲線、方向微分、ベクトルがどのように表現されるか、考えよう。(ui)の表記で (u1,u2,...,un)を表すこととする。 ・曲線C:{(ui)=(ui(s)), asb} ・方向微分
df
ds
f(P(s+Δs))-f(P(s))
Δs
=ni=1dui
ds
∂f
∂ui
=(ni=1dui
ds
∂ui
)f
・接ベクトル接空間 TpM における ui 軸方向の基底ベクトルを ei として、
V=P(s)P(s+Δs)
Δs
=ni=1dui
ds
ei
ni=1Viei
基底ベクトルが接空間 TPM に属することから基底ベクトルは ei|P もしくは ei|TPM と記載すべきだが、煩雑となるので ei とした。繰り返しとなるが、点 Pei は、点 Q の接空間 TQM には属していないことに注意(曲面を外側から見て、通常のやり方で「平行移動」すると TQM からはみ出してしまう)。 基底ベクトル ej は次のようにして求まる。P を通り、座標軸 uj に沿った曲線 Cj Cj:{(u1,u2,...,uj,...un)=(u1|P,u2|P,...,uj(s),...un|P), asb}で、パラメーター s が uj 座標の刻みと一致する場合、a
V=ni=1dui
ds
ei
=ni=1𝛿ij ei=ej
となる。よって、Cj について、
ejP(s)P(s+Δs)
Δs
,on Cj
=P(u1,...,uj,...un)P(u1,...,uj+Δuj,...un)
Δuj
に従って ej を決定すればよい。これを座標基底と呼ぶ。n 個の基底 {e1,...,en} は接空間 TPM を張る。 曲線 Cj 上の微小変位ベクトルP(s)P(s+Δs)=VΔs=ejΔsΔs=1 とすると、P(s)P(s+1)=P(u1,...,uj,...un)P(u1,...,uj+1,...un) =ejとなる。もちろんこれは接空間 TpM からはみ出してしまうだろうから定義できないのだが、イメージとしては、ej は概ね、座標軸 uj1 刻み分のベクトルとなることが分かる。 方向微分を任意の関数 f への微分作用素と見なしたとき、その
∂ui
の係数と、接ベクトルの ei 成分はどちらも dui
ds
で共通している。このことからも、両者は 1 対 1 の対応関係にあることが分かる。ある点 P を通る曲線 C が決まると接ベクトル V が決まり、任意の関数 f に対する方向微分 df
ds
も定まるという構図となっている。
ベクトルのノルムを決めるには計量が必要
基底ベクトルの定め方からも分かるように、座標系の刻みに応じて基底ベクトルは変化する。 図右のように ui の刻み幅だけを 1/2 倍にした系では ei1/2 倍となる(他の基底ベクトルは変化せず、そのまま)。座標系の変化により、基底の相対的な大きさは何倍になったとは言えるが、その絶対値、ノルムはベクトル間の内積がまだ定義されていないため、定まらない。基底の線形和であるベクトルも同様である。 大きさを決定するためには、各点において、座標基底間の内積gijeiejを定義してやる必要がある。それが計量を決めるということだが、こうすることで、任意のベクトル V のノルムは、
VV = iViei jVjej
= i,jViVj eiej
= i,jgijViVj
と求められることになる(同じ成分同士の積だけの和となるのはデカルト座標系の場合のみ)。 平行移動や曲率など、計量を決めなくても定義できる量も多くあるので、話の筋を明確にするために、計量の導入はもう少し先、リーマン幾何学で行うことにする。 今後、同じ添え字が上下に現れる場合は和をとることとして を省略する(Einstein の規約)。例外的に和を取らない場合は「ただし、和はとらない」と注釈をつける。
成分・基底の座標変換
ui 系から ui ' 系へ座標変換を行おう。方向微分、ベクトルが座標系によらない「幾何学的実在」であることから、その成分・基底の座標変換が定まる。 先ずは方向微分について:方向微分の変換は chain rule そのものなので、
df
ds
=(Vi
∂ui
)f
=(Vi∂uj '
∂ui
∂uj '
)f
(Vj '
∂uj '
)f
から、方向微分の係数はVj '=∂uj '
∂ui
Vi
と変換される。基底にあたる微分作用素の変換は、これも chain rule
∂uj '
=∂uk
∂uj '
∂uk
となる。確認のため、 ui ' 系から逆変換してみると、
Vj '
∂uj '
=Vi∂uj '
∂ui
∂uk
∂uj '
∂uk
=Vi∂uk
∂ui
∂uk
=Vi𝛿ki
∂uk
=Vi
∂ui
ui 系に戻ることが確かめられる。 次に接ベクトルについて:方向微分を与える微分作用素の係数と、接ベクトルの成分は同一だったので、接ベクトルにおける成分の変換も、Vj '=∂uj '
∂ui
Vi
を満たさなければならない。従って、接ベクトルが座標系によらない「幾何学的実在」であるためには、基底の変換則も方向微分の基底の変換則と一致しなければならないことになる。ej '=∂uk
∂uj '
ek
こうして、接ベクトルの基底の変換則も自動的に求めることができた。
基底の表記
接ベクトルに限らず、成分の座標変換を考えたとき、Vj '=∂uj '
∂ui
Vi
の変換則を満たすものをベクトルと定義することとする。すると話は戻って、方向微分の微分作用素も、その係数の変換性から、これもベクトルであるとみなすことができる。ならばいっそのこと、ベクトルの基底をei
∂ui
と書いてやったほうが、その変換性を明示的に含んでいる分、情報量が多くて便利ではないか、ということで、微分幾何や多様体の分野ではこのように表記されることが多い。本ホームページでは基底に対し、どちらの表記も混在して使うが、共通点はどちらも添え字が(基底に関しては)下側にあるということを覚えておいてほしい(成分に関しては上側となる)。 さらに進めてベクトルを方向微分の微分作用素と同一視し、(d
ds
)f=(Vi
∂ui
)f=Vf
の対応関係から、ベクトルをVd
ds
と表記する立場まである。これがベクトルの現代的な定義とその帰結だが、ここまでくると、少し急進的に過ぎるかもしれない。本ホームページではこの表記は使わないこととしよう。 対象がベクトルであるためには、その成分がある変換性を満たす必要があることが分かったが、ベクトルとは真逆の変換性を示すものがある。その最たる例が grad. こちらはベクトルではなく、その双対、1-form に属する。次はこちらについて。

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